戸越銀座商店街が起こした広報の奇跡 中編

画像左:戸越銀座商店街連合会 専務理事・広報 亀井哲郎 氏 画像右:商い未来研究所 笹井清範 氏

【戸越銀座商店街専務理事・広報】亀井哲郎氏へ【商い未来研究所】笹井清範氏がインタビュー。

戸越銀座商店街が活性化した要因について、過去・現在・未来にまで目を向けたお話が語られています。
実際に起こったことを基に、街の広報とはなにか、何が必要で、どんな効果をもたらすのかを知ることができます。
街の発展を願う方、商店街関係者の方は是非ご覧ください!


(内容は前・中・後の3編で配信)


商店街にこそ
マーケティングは必要

——私たちは商人である以上、お客様が価値を感じてくださり、欲しくなる商品を扱うことから逃げられません。
何を置いても売れた時代はもうやってきませんね。

 マーケティングの大切さを語る亀井氏

亀井 それまで商店街がやってきた活性化事業は、ハード整備やイベントやカード、共通のサービスなど、「組合員全員のためになる」ことだけでした。「店はお客様のためにある」という、肝心なことが抜け落ちてしまっていたんです。

 お客様が求めているのは、私の欲しいものがあると思える個々の店です。汚いよりきれい、にぎわっていないよりにぎわっていて、カードにポイントが付いたほうがいいけれど、「欲しいものがない」かぎりは、そういうものも機能するはずがない。

 そこで、会社にいたころ勉強した市場調査手法を思い出し、「マーケティングに取り組もう」と提案しました。すると、先輩から「コンサルタントみたいなこと言うな」と叱られました。商店街でこれまで、すでにコンサルタントを雇って、さんざんあるべき論を言われて、アレルギーができていたのですね。

 もっと叱られたのは、「他人の店のことに口出しするな」ということでした。当時、共同チラシに載せる商品写真にも駄目出しできないほど、個々の店に口を出すのはタブーでした。一緒に釣りやゴルフに行く仲間であっても、「店をもう少しきれいにしたら?」と言えません。商店街の商人には、自分の商売についての他人の意見を聞く習慣がなくなっていました。

——「店はお客様のためにある」という言葉は、亀井さんも私も学んだ商業界の創立者、倉本長治が遺したものです。倉本は「昭和の石田梅岩」と呼ばれた傑出した商業経営指導者でしたが、倉本の言葉はまさにマーケティングの原点です。マーケティングとは、この思想を実現していくための手段なのですね。

亀井 そこで、戸越銀座でしか買えない商品やサービスを提供できないかと、1998年末ごろ、商店街の理事会で「戸越銀座オリジナル商品開発参加のお願い」というタイトルの企画書を配りました。商店街で統一のロゴマークやパッケージデザインを作成して、コンセプトや開発理念、商品説明、商店街の生いたちや背景などを明示して、それぞれの店で販売していこうというものです。それによって、商店街の社会的認知度やイメージアップを目指しました。

 たとえば、ケーキ屋さん、パン屋さんなどですでにオリジナル商品をつくっている店では、お客様の意向を取り入れた新しい商品を戸越銀座ブランドのコンセプトに基づいてつくってもらい、仕入れ販売店ではコンセプトに見合うような商品をメーカーや問屋さんとタイアップしてプライベートブランド化を模索しようと働きかけたのです。

 酒屋さんなら珍しい東京の酒蔵で造られる純米酒を、ケーキ屋さんならデパ地下の有名洋菓子店に負けない安心安全の手づくりクッキーを、洋品屋さんならオリジナルロゴマークの入った地元アイデンティティを喚起するようなTシャツやタオルを、それぞれの業種業態に合わせた商品やサービスを提案したんです。

——価値ある商品の芽はすでに各店で芽吹いていたのですね。それをオリジナルブランドという意味づけ施せば、お客様への伝播力は高まりますね。ブランディングという言葉がまたまだ一般的ではないころですから、理事会メンバーの反応はどうでしたか。

亀井 当然、皆に賛同してもらえるだろうと意気揚々と理事会で提案したのに、逆に叱られてしまいました。「他人の店の商品にまで口出しするな!」とか「売れなかったら誰が責任取ってくれるの?」「オリジナル商品なんていったいコストがどれくらいかかると思っているんだ!」など、前向きな意見は皆無といっていいほどで、「お前は自分の店を棚に上げて他人の店の文句を言いたいのか!」なんて……。

 それでも理事会のたびに、オリジナルブランドづくりの重要性や効果を訴えました。既存の活性化策だけでは商店街はよくならなかったし、絶対に売れる確信があると協力を訴え続けました。

商店主の意識を変えた
とごしぎんざブランド

——商店街への愛着と危機感が亀井さんを動かしつづけたのですね。
私が戸越銀座に注目し、亀井さんと知り合ったのもこのころです。

画像:現在の戸越銀座ブランド商品の一部

亀井 数カ月の過ぎた1999年春ごろ、酒屋の主人だった副理事長がオリジナルブランドづくりに興味を示してくれるようになりました。当時、酒販業界は規制緩和による酒販免許の自由化を目前に控えて戦々恐々としている時期で、このままでは街の酒屋は消滅してしまうだろうからコンビニエンスストアに業態転換しようか、それとも廃業しようかなどと悩んでいた中、オリジナルの商品でもあれば少しは変わるかもしれないと思ってくれたようです。
手はじめに東京の酒蔵から日本酒を取り寄せてリサーチを始めることになり、戸越銀座オリジナルブランドづくりがやっとスタートラインに立ちました。

——しかし、商店街はこれまで自家消費用の商品だけを売ってきたから、販売するために説明がいるギフト品を扱うのは、多くの店でほぼ未経験のことでしょう。

亀井 そもそも情報発信や広報自体が苦手です。ならば、商店街がパッケージづくりや情報発信・広報を手伝えばいいと思いました。

 しかし役員会では、「皆の金で個店の品をつくるのはタブー」「売れなかったら、誰が責任を取る」という反論が出て紛糾しました。しかし、やりたいのは企業でいうCI(コーポレートアイデンティティ)、ブランドイメージづくりです。酒屋さんを助けるのでなく、逆に力を借りるのです。

 地域に暮らす生活者の皆さんにも聞いてみたところ、「欲しい」「お土産に使いたい」という意見が多く挙がりました。ただし、自分たちの勝手にはつくれません。「店主が薦める逸品」が通用するのは、東京の銀座か横浜の元町くらい。信用ある店なら薦めてもいいけど、シャッター通りになりつつある駄目な商店街がよってたかって薦めても、効果ないでしょう。

 だから地元の人たちを巻き込んで、しつこいくらい試作しました。「戸越銀座」といってもほとんど知名度がありませんでしたから、パッケージに大きく、「商店街が長い」「生鮮品が安い」とアピールしました。それを持って電車や飛行機に乗り、友だちの家に持っていってもらえば広告宣伝効果が上がります。

 宣伝費を掛けられないから、「とごしぎんざブランドっていう、ちょっと変わったものをやります」と言ったら、新聞テレビ雑誌が取り上げてくれ、たくさんの人が訪れてくれました。試作に付き合ってくれた地元の人たちのクチコミも大きな力になりました。買った人が土産に持っていった先で、「2時間も戸越銀座の話をしちゃったよ」と言ってくれた人も現れました。

——住んでいる場所のことは誰だって誇りにしたいものです。そこがふるさとですから。

亀井 自慢できれば愛着が湧きます。「なんかテレビや新聞に出ているから」「親戚が買ってこいっていうから」と、地域の人が買物してくれるようになっていきました。ちょっとした土産物なら、営業時間や定休日を調べ、値段を下げなくても買ってくれます。

——当時は商店街のオリジナル商品自体が非常に珍しかったために、さまざまなメディアで取り上げられました。
私が戸越銀座に注目し、亀井さんを訪ねたのもこのころでした。

 戸越銀座商店街は今では全国各地で実施されている商店街ブランドや一店逸品運動の先駆者と言えます。

亀井 とごしぎんざブランドには多くの一店逸品事業と大きく異なる点があります。それは、その出発点が産品づくりという発想ではなく、地域そのものをブランディングするという点です。

 ブランド力のない商店街のお店がいくら店主のお奨めといって商品を販売しても、それを欲しがる人は誰もいません。それをきちんと理解した上で、「戸越銀座」の知名度を上げることを最優先としてブランド事業を進めてきました。

 統一のロゴをつくり、プロモーションのために地元ケーブルテレビでCMを流し、パッケージには戸越銀座商店街の由来が記されているなど、様々な工夫を施しています。パッケージの完成度を高めることも重要視しており、自家消費分以外の贈答品としての需要に対応し、販売店の売り上げ増加に貢献しています。

 物品を販売していない店であっても、「戸越銀座の電気屋さん」「戸越銀座の洗たく屋」など、戸越銀座と名前が付いている店もあって、とにかく「戸越銀座」という地名が露出するような取り組みを数多く行ってきました。

――そうしたマーケティングに基づいた広報戦略が今日、多くのメディアに取り上げられ、戸越銀座商店街が全国区の知名度を得るようになり、商圏内外からの多くの来街客でにぎわうターニングポイントとなったことがわかりますね。

亀井 近年、商店街に観光を目的として来訪するお客様が増加しており、ますますお土産品としてのニーズが高まってきています。現在、とごしぎんざブランドは約20店で50品目ほど扱われています。


次回:「広報の重要性を語る 後編」を配信いたします。


戸越銀座商店街

戸越銀座商店街は東京都品川区豊町および、戸越、平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った商店街。
総延長は直線で約1.3km。戸越銀座商栄会商店街(商栄会)戸越銀座商店街(中央会)、戸越銀座銀六商店街(銀六会)の3つの商店街からなり、戸越銀座はこの3つの商店街の総称。
1923年の関東大震災後、銀座のがれきを運び込み、低地を埋め立てたことから「戸越銀座」と命名された。全国各地にある「○○銀座」の第一号でもある。
マスコットキャラクターに戸越銀次郎(通称、銀ちゃん)がいる。

戸越銀座商店街オフィシャルサイト

亀井哲郎 氏

ギャラリーカメイ 店主
品川区商店街連合会 専務理事
戸越銀座商店街連合会 専務理事・広報

大学卒業後、宝飾品専門店の全国チェーンに勤務。
その後、家業である「ギャラリーカメイ」を継ぐ。

戸越銀座活性化のために尽力し、戸越銀座ブランドを確立。
現在も広報の観点から、戸越銀座の活性化に取り組んでいる。

笹井清範 氏

商い未来研究所代表
一般財団法人食料農商交流協会理事

”商い”をする人々の育成を目的とした「商い未来研究所」を設立。
インタビューや研修・コンサル・講演により商いにかかわる本人が認識をしていない強み課題を顕在化させ、多くの商業者を育成し排出している。

※笹井氏のメルマガは、商い未来研究所様のページより登録いただけます。